♣2月号 子どもの絵を見るポイント ♣

2019年01月28日

理事長コラム

週末の夕刻、船橋駅で二人の女子中学生に声をかけられた。「けんしんのリジチョウ先生? こんにちは」「こんばんわ 卒園生?」もじもじしながら・・・「電話のかけ方おしえてください」と云いながら手のひらの30円をさしだす。塾の帰り、二人のスマフォが充電切れ交番へいったら、「公衆電話で電話しなさい」と30円貸してくれた。やっと、見つけた公衆電話がつながらない。つい最近、テレビで公衆電話に戸惑う若者の耳にしたばかり、スーパーで自動払いに戸惑っている私と同じで可笑しかった。
時が流れていく中で、対応していくことに、目に見えない世代に戸惑いがあるのでしょうね。
この日、その後船橋駅で、卒園生のお父さんに偶然再会しました。
数年ぶりの出会いだったが、すぐ当時のことを思いだした。
「小学校5年になったある日、クラブチームのユニフォーム姿が似合う一人息子に、瞬間「まぶしさ」を感じた」と話されたお父さんだった。
「子どもだと思っていた息子の成長に戸惑う?その日から距離を置くようになった」と率直な悩みを3年前に語られたお父さんだった。
「その後、いかがですか?」
「都内の進学中学に進みサッカーしています。母親? 幼稚園の頃とかわらない息子べったり・・・新婚夫婦みたいですよ」「父と息子のライバル関係ってありますかね? 父親である私は、わが家の子育てについては、わたしは、いつも蚊帳の外。不器用なんですかね」
「清潔好きの妻が、ドロンコになって遊ぶ幼稚園に、真綿にくるんで育てた長男を積極的に入園させた。素足になる経験がなかったわが子が、幼稚園でドロンコに腹ばいになって遊んでいる映像を見て、私は戸惑った」「わたしも田舎でドロンコになって育ったにもかかわらず・・・・ついていけない」
別れ際、私に向かって頭をさげながら、
「良い運をつかむ子を育てる」「子どもはより子どもらしく」
「考える子を育てる」「ドロンコになって遊ぶ」という幼稚園の教えを今でも妻は、自筆で描いて子ども部屋に飾っています。
私も毎月、健伸のホームページ見ています。勤務先でわが子の自慢話をしながら、「幼児期に泥んこになって、頭と体と心が生き生きと輝いて遊んだ子どもは、9歳の頃にぶつかる高いハードルをクリアーできる」
書籍で学んだ内田伸子教授の言葉を掲げて、勤務先であそびの大切さを訓示しています。
名刺の交換もせず、お子さんの名前も伺わず、お別れすることになった。もしかしたら、教育関係の仕事に就れていらっしゃる方かもしれません。
もしホームページをご覧になられたら、
「お子さんも 何時の日かおとうさんと同じく自分のお子さんに「まぶしさ」を感じるときがあるでしょう」父親って本来「シャイ」なんでしょうね。
あらためて幼児期のあそびの大切さと乳幼児期における母親の役割と父親の役割について考えてみたいと思います。

「人間の赤ちゃんは、お母さんの胎内で脳が著しく大きく成長しすぎて、産道を通れない。そのため1年ほど未熟で生まれる」とポルトマンが指摘するように、他のほ乳類は、産後すぐ自分の足で立つが、人間は、立つのに一年、言葉を発するのに一年以上もかかるので、自分で身を守り、自分で食事や排便が出来ませんね。ですから人間のあかちゃんは、母親の擁護期間が3年ぐらいが必要で育児休暇期間も3年制度が保障されるようになりました。
この時期の子どもにとっては、母親は絶対の守護神です。
子どもは幸せを○で表現します。三歳年少が描く家族の絵。
画用紙に左から右へ大きな○と小さな○が描かれています。4つ並んだ中央の二つの大きな○が、ぼくとママ。右端がおねえちゃんの○。そして右隅の小さな○は?「めがねをつけたパパだよ」パパの出番は5歳からです。
○は、やさしさと安らぎをを求める3歳の世界の象徴です。やなせたかしさんのアンパンマンは、子どものシンボルです。三歳児の絵に○があればそれは正常な発達ですね。
年中、5歳になる子どもたちは、感覚で判断し行動ができます。従って目で見た物も、心で感じた物も、手で触った物も、その瞬間の感覚や印象で、心にイメージします。したがって、子どもたちが、手で触れた感覚、舌で味わった味覚、耳で聞いた聴覚、目で見た視覚・・・感触をいったん脳に送りイメージして貯蔵するように配慮します。
誕生5歳児は、絵を描く時、描きたいものを手で触り、胸に抱き、目で観察し、肌で感じ取り、その情報を脳に送り脳裏にデッサンします。そのイメージは、子どもそれぞれ異なるはずです。いったんイメージが出来ると、子どもたちは、脳にデッサンした映像を描くのですね。
ですから、この年齢はたくさんの経験を広げることが大切です。
5歳年中さんは、絵を描く時、子どもは、さわり、抱き、観察した後、イメージが出来ると、自分の目で見た物、感じたものを大胆な描線で一気に描きあげます。
「遠い近い」や「大きい小さい」理屈では無く感じたままに表現します。
五重塔を描いてもかっこよいと感じた一番上層の五層が大きく描かれたりします。そこで時々、このように描いてみようと提案します。
例えば、大好きな先生のデッサン、足から描いてみることを提案しました。だいぶ戸惑ったようですが、どのように描いたかは? 楽しみですね。
6歳、年長になると伸長期、背丈が伸びて、頭でっかちの5頭身が足が伸びて7頭身になります。描画活動でも天と地の水平線が描かれます。
左上を細く、右手前を太く描いた坂道、手前を広く色濃く塗り、遠くを薄くぬることで奥行きのある遠近を表現できます。空に浮かぶ雲の大小や形・・様々な角度からものごとを考えたりする柔軟性も出てきます。
水族館の魚群を見ている友だちを小さく描き、その姿を手前で描いている自分を大きく描く工夫もわかってきます。
こうした学習は、➀考える②イメージする③心で描く④いろいろ工夫する・・・という環境学習の場が必要です。そのためには、答えはたくさん選択できる場が用意されてなくてはなりませんね。
そうした意味で描画表現でも、自分の一番大切な部分を強調することを大切にしています。
例えば、跳び箱を跳ぶ子どもの手指の表現、自転車を描くときの足の位置等・・・自分が体験で得た感覚を表現する力が身についてくると、そのポイントが自然に表現されてきます。この時期は、時間の感覚がわかるように、想像力も創造力も広がっていきます。言葉が大人以上のスピードで獲得しているだけに、嘘と本当の区別ができる能力が、さらに豊に表現された子どもらしい絵が描かれていきます。
どうぞ、世界に一つしか無い子どもの世界。
一本の描線にも語りかけてくる子どもの心が表現されています。お子さんの絵に語りがけて下さい。