♣理事長コラム10月号 「豊かさとは何か?」「頑張ることとは?

2020年10月02日

理事長コラム

やっと秋風が吹き始めました。子どもたちは、3時までの長時間の保育、昼寝もしないで、元気に動き回っています。

年少、花組さんも幼稚園生活にも慣れて、二階の2部屋そしてホールのコルクの部屋も開放されて、あそびも友だち関係も広がってきています。

また竹組さんは夏のお休み期間にリフォームされた保育室が広がり明るくすてきな部屋にリフォームされて全員で生活できるようになりました。

私事ですが、10月1日、81歳の誕生日を迎えました。

昔話は同窓会のように同世代が仲間集まって、花が咲くので、若い世代のご家庭へのお便り文としては、適切ではありません。

しかし、世界中に蔓延した新コロナ停滞を機会に大きく時代は変わっていくことが予想されます。思いつくままに昔のことを書き留めました。我慢して読んでくだされば幸いです。

「年を重ねることは幸せですか」とよく尋ねられます。「幸せか否かは自分で決められるので、亡くなる寸前にありがとう幸せでしたと感謝することでしょうね」

「生きるってことは、人との出会いです」

この年齢になって思うことは、お世話したよりも、お世話になった方のほうが多いことです。感謝する人が多い人ほど、幸せな人生を送ってこられたと考えています。

 

成熟すると二極化に分かれる

終戦直後の昭和21年に小学校入学。セピア色をした唯一の写真には、100人ばかりの

1年生、下駄履き、草履でシューズをはいている子は誰もいません。

3年生からはお弁当持ち、しかし、昼食の時間には半数以上の生徒が自宅へもどりました。弁当持参の子は、金持ちの家の子どもでした。それでも物がない時代だったので、さしたる生活面での格差はありませんでした。家庭教師も塾も無く、あまり勉強をした記憶は無かったし、勉強を強要されることもなく、D.D.Tの噴霧器でのケジラミ退治、脱脂粉乳の給食、アメリカ進駐軍から支給されるパンや白米の学校給食は、貧しい家庭の子にとっては天国で登校拒否等皆無でした。

6年生になる頃には、生活も豊になりましたが、貧富の格差がでてきて、私立中学への進学も多くなりました。その頃から勉強をする者と勉強をしない者との成績格差が生じ、勉強ができる子は、家庭教師や学習塾にも通い、学校の成績にも二極化が見られるようになりました。習い事はそろばん、英語、習字、学習塾が多く、勉強しない子どもは三角ベース(野球)路地裏あそび(ベイゴマ、縄跳び、メンコ、おはじき)トンボ、ザリガニを追いかけて暗くなるまであそんでいました。

勤め人の家庭は、ほとんど無く、桶屋、下駄屋、傘屋、豆腐屋、八百屋、魚屋、等の家内企業の家が多かったので、子どもたちは、家の手伝いで学校を休んだりしました。男の子は、納豆売り、新聞配達、牛乳配達そして女の子は、子守、洗濯等のお手伝い等で家計の手伝いで忙しかった反面、勉強ができる子は、友だちあそびもしないでいわゆる「ガリ勉」の子との2極化が著しくなりました。

時代の画面が大きく変わったのはテレビ、洗濯機、冷蔵庫・・・特にテレビの登場は、生活のリズムを大きく変えました。下総中山駅の街頭テレビで力動山のプロレスに熱中しました。美空ひばりの東京キッズ、三波春夫の五輪音頭、春日八郎のおとみさん、ペギー葉山の南国土佐を後にしてのヒット曲に日本中が活気に満ち、そしてカラーテレビのバス付きの集合住宅への憧れと目標がでて、それぞれに汗水流して頑張ることでその分、さらに生活が豊かになった時期です。

昭和の30年代は、39年のオリンピックの影響もあり「がんばる」ことで、エスカレーターの流れに乗れば、将来が保障される時代で、勉強する者と勉強しない者との格差も広がっていきました。今の船橋ららぽーとの周辺に谷津遊園地があり、隣接してテレビコマーシャルで有名になった船橋ヘルスセンターができて船橋も活気づきました。

平成20年(1998年)頃からは、IT化が進み、六本木の高層ビルを事務所とするハイスキルなIT機器を操作する上流ヒルズ族とIT情報に操作される携帯・スマホ依存族の二極化現象がみられるようにもなっていきます。

ビルゲイツの登場により、汗水を流さずともITに長けていれば一晩で長者に慣れるというきわめて安易なゲーム感覚的な固定した仕事を持たないフリーターの誕生でもありました。

「25歳で結婚して、宝くじが当たって5000万の家を買って、子どもは二人いて、ペットがいて、老後は二人の子どもが近所にいて、実家の母も父も元気で幸せ。

運がよければ、老後資金は宝くじがまた当たるかも・・・」と極楽とんぼが登場したりしました。

昭和、平成、令和の時代を生きてきた私にとって、「人生は、失敗を繰り返すことで、直感力が鍛えられて、結果、「幸運」を掴めると信じています。したがって、幸運を掴むためには、時には120%の目標を立て、汗水流してチャレンジして「がんばる」ことは当然だと考えています。頑張って努力すれば、輝く星が見つかるという目標があって人は頑張るのでしょう。私が30代、幼児教育に飛び込んで日々の生活に苦しんだ時に出会った司馬遼太郎の「坂の上の雲」は私の輝く未来の星でした。幕末、大政奉還に走った若者にとって、目指す山の頂に浮かぶ雲は、青春のエネルギーであり、希望であり今を頑張って生きる目標でもありました。

我が祖先が、3万年前、南アフリカに誕生したホモサピエンスがヒマラヤを超えて、石斧を振るって、丸木舟を造り、黒潮に乗って日本上陸を果たしたという仮説に立って、国立科学博物館の研究者たちが、台湾から与那国まで石斧で造った丸木舟を漕いで太平洋の荒海を何度もチャレンジしている姿に大きなロマンを感じています。

コロナで幼稚園に来られず、外出することもできなかったあそび盛りの年長松組さんが10月に鋸山登山にチャレンジします。でこぼこの石段を上り下りするのは、がんばりと気力が必要です。しかし、登り切った先には東京湾を一望できる頂きがあります。そこで「頑張った自分」を称えて万歳をするのでしょうね。

鋸山へのチャレンジを決めた時から、子どもたちの目が輝き目標ができました。

目標に向かってチャレンジすることで日々の生活に活気がでてきます。

幼児だからこそ、自分の手足や頭脳を駆使して夢中になってあそぶ主体的体験が問われています。

「豊かさとは何か?」「頑張ることとは?」IT社会を迎えて大きな課題であります。