11月号 ♣ 伝統こけしがよみがえった ♣

2017年11月08日

理事長コラム

 伝統こけしがよみがえった
形で見えない幸せ

伝統こけしの収集が私の密かな趣味です。幼稚園を設立した昭和48年、順天堂大学の太田昌秀先生から伝統こけしを紹介されて、その素朴な美しさに魅せられました。伝統こけしは、東北地方特有の世界に誇る文化財で、その円筒型の頭と胴だけの木地に筆で描かれた表情は、モナリザの微笑を思わせる童女のほほえみです。昭和の年代は、「こけしブーム」で、東京の大丸デパートのオークションには、全国から人が集まり、明治生まれの師匠格の工人が、挽いたこけしは、私の給料では購入できませんでした。
豊臣時代に東北に移り住んだ木地職人が、温泉土産のオモチャとして挽いた人形がこけしの起源と言われています。東北地方の各地で工人が工夫して、徒弟制度のもとでその伝統技術が受け継がれてきました。
それだけに、名のある工人の作品は、事前に手紙で依頼して、直接訪ねていく熱意がないと手に入りませんでした。
こけしの工人は、東北の奥地の温泉街に近い村落に住んでいます。私が訪ねた工人だけでも、青森の黒石、岩手の花巻、宮城の鳴子、作並、山寺、秋保、山形の天童、上山、肘折・・・等々で、それぞれの地区で挽かれた「こけし」は、ろくろの挽き方、顔の表情、髪型、目、口、眉等の描彩には、代々伝えられた特性があります。徒弟制度の下で師匠の許しが無い限り眉一本の描彩も伝承出来ない仕組みになっています。したがって、こけしの研究家は学者と同じく、手にする「伝統こけし」で、その制作年代、師匠名を判定することができます。そのためにも奥が深い知識が必要です。
私のコレクションは、それぞれその年の思い出が込められています。
土手を滑り落ちたり、道に迷ったりして、工人から直接譲り受けた「伝統こけし」は、50本ほど。それ以外に、温泉地のこけし店やオークションや仲間同士の交換で250本ほど所有しています。
当時は、若手の工人の新作でも、今では、名人級の作品になっているのもあります。時々、成田の参道の骨董店等で名のある名人級の工人のこけしが、描彩が薄れたり古くて鮮明で無いという理由で、段ボールに転がされていることがあります。伝統こけしには、制作者の名前が記されていますが、偽物も多くその判定は難しいのですが、本物が転がされていたりしてショックを受けたりします。
今年、私の中学からの師匠である画家の合志先生が、怪我をされて、私が、描画の指導を引き継ぐことになりました。山形や長野の幼稚園では長年、指導はしていても健伸で直接子どもの描画指導はしていなかったので、わくわくしながら、両園の年長の子どもたちの中に入って一緒に学んでいます。
エンピツの持ち方、筆の作法、パステルの使い方等・・基本を繰り返して、手のひらのデッサン、葉っぱの観察、あじさいのデッサンを経て、9月から念願のこけしのデッサンに取り組みました。
二尺のこけし〈60センチ〉の「己之助こけし」を「わりばしペン」で墨汁をつけて、和紙に描くことをイメージして、こけしのデッサンを繰り返しました。
10月に入ってから自宅に飾ってあったお気に入りのこけしを40本ほど幼稚園に持ち込みました。30人ほどのグループで、10センチほどの小型こけし、太いこけし、彩りが鮮やかなこけし、それぞれ気に入ったこけしを一本を選んで、一人一本を描くことにしました。
「こけしって それぞれ顔や目がちがう」
「なんで 男の子の こけしが無いの?」
「このこけし 目が ほそくて ながくって きれいね」、
「こけしは だっこ しやすいね」
「なんで黄色みたいな色になるの?」
子どもたちの感想をかみしめるように聞きメモします。
子どもの描いた作品は、それこそ工人に見せてあげたいほど、ほのぼのとした表情の絵が描けました。老工人が、「描線は孫に学んだ」といった言葉、そして、「子どもの描く描線は、時として名人芸を凌ぐ」と言われた有名画家の言葉をおもいだします。子どもたちが、集中して描く目、鼻、眉の描線は、模写から独自の世界に入っていく・・・そのきっかけになってホッとしています。
こけしの由来は諸説ありますが、東北の貧しい寒村に生まれた女児を間引きした「子消す」として大切にされたという説も伝えられています。
「人形の暗きところでわれを見ゆ」
ほこりをかぶっていた「こけし」を年長さんがよみがえらしてくれました。

数年前になりますが、仙台での会合の帰途、出発間際の仙山線に乗り込みました。車内はリュックを背負ったハイキングのグループで満員。しかも、六割は、私と同年齢のシルバーツアーです。原色の華やかな衣服を着こなし余生をゆったりと楽しんでいるようでした。仙台の奥座敷と言われる作並温泉駅からハイキングコースで名高い面白山駅までの車窓は、秋の絵巻でした。
けやき、白樺、銀杏の葉が黄色に燃えて、そこにウルシ・もみじの葉が、朱と紅色に染まって、浮きあがる自然の秋の営みのみごとさに朝からの疲れも忘れて見とれました。偶然でしたが、こけしのふる里ができました。
終点山形までのつもりが、人並みに釣られて山寺の駅で降車していました。小雨模様の中、駅前で傘と帽子を購入、駅のロッカーに背広の上着とバックを預けて、立石寺へむけて歩き始めていました。
てきぱきと一人で行動している自分に苦笑しながら、八百段の岩山に張り付くような急傾斜の階段を、奥の院まで一気に登りました。
日頃、せかせかとした生活に慣れてしまうと、ゆったりと目的のない時間に戸惑ったりすることがありませんか。これでは人生疲れてしまいます。
「形で見えない、お金で買えない幸せ」は、「心のゆとり」ですね。
子どもにとっては、お父さんお母さんと一緒に、目的もなくぶらぶら散策できることがうれしいのでしょう。
「親と一緒に居る時間帯を幸せと子どもが喜んでくれるなんて、今の幼児期だけかもしれませんよね!」。自然界が冬支度に入る秋の終日をご家族でお楽しみください。