8月号 ♣ひろすけ童話の世界♣

2017年07月19日

理事長コラム

 『ひろすけ童話の世界』

海の日の連休、山形県の研究会の帰路、ローカル線の車窓に広がる蔵王連山のみどりのパノラマに魅せられて、高畠駅で下車しました。

まほろばの里、童話のふる里、高畠駅の構内に赤鬼の立て札がありました。

ココロノ ヤサシイ オニノ ウチデス。

ドナタデモ オイデ クダサイ

オイシイ オカシガ ゴザイマス。

オチャモ ワカシテ ゴザイマス。

高畠は、「泣いた赤鬼」の著者、浜田廣介のふるさとです。

数年ぶりに、浜田廣介記念館を訪ねました。

サクランボ、ラフランス、葡萄、モモ、果物の生産農家畑に囲まれた記念館の童話ルームで「ないた龍」「ある島のキツネ」「むくどりの夢」・・・廣介童話の世界が広がっていました。

七年前になりますが、広介童話の夢を継承した雪が軒先まで積もる「むくどり幼稚園」に絵の指導に二年間ほど伺っていたことがあります。残念ながら、

「こども園」に移行して幼稚園は廃園になりましたが、童話館に当時のスタッフがいて、廣介の「優しさ」を語り、旧交も温めることができました、

 

「お月様と雲」

カラスは、杉の木に、ねどこをつくってすんでいました。秋もだんだんしまいにちかくなりました。

からすは、だんだんさむくなってきました。ふとんをかけてねなくては、ねむられそうもありません。

からすは、枯れ葉をあつめました。ねどこにはこんで、ねるときに、かれ葉をからだにかけました。

うすいけれども、きの葉のふとん。

風が夜中にふきだしました。からすはさむくて目がさめました。

「やあ、まるみえになっている。」

高い空から見おろして、お月さまがいいました。

「かわいそうに、なにかうまいくふうはないか。」

夜の雲が、ふんわりうかんでいました。雲はながれてだんだんにお月さまのそばにきました。

「雲さん、雲さん、そら、あの森の木のえだに、からすがいましょう。みえませんか。」

雲はちらりと目をむけました。森のはずれのすぎのきに、

カラスが一羽しょんぼりと かがんでいるのがみえました。

「ええ,はっきりとみえますよ。くろいはだが、あれではきっとかぜをひく。」

「あなたはちょうど わたみたい。どうでしょうか。すこしばかりちぎってとって、

鳥のからだにかけて やって くださいませんか。」

「わかりました。」雲はさっそくひきうけました。

だんだんひくく すぎの木に近づきました。

「わたしのからだぜんたいにつつんであげよう。」

そういって、雲は ふわりと えだのところに とまりました。

からすは、そのばん、もう一ど、ねて、

あおいごてんにすんでいる白いからすのゆめをみました。

( ひろすけ童話通信 第二〇号)

 

廣介童話の特徴は、語りが具体的な映像になって読む者の心におはなしの世界がひろがっていきます。

廣介の童話の特性は、ゆったりと語りかけてくるゆったりとした世界です。それは、絵筆をもってキャンパスに描くあの描線の世界でもあります。

 

「小さな島のきつね」

小さな島が、ありました。まっかなツバキが咲いていました。

うららかな日にてらされて、花は、みな、ふくれていました。

いま、さき出そうとしているつぼみもありました。

青黒い葉は、つやつやと光っていました。

そして、青い海の 上には、いくつかの帆が、銀のようにかがやいて、

うごくともなくうごいていました。

 

廣介記念館には、「ある島のキツネ」を立体動画で楽しめるマジックスクリーンでは下記のようなキツネとおばあさんの舞台が展開します。

のどかな島のお寺に目が見えない耳が遠いおばあさんが、おじいさんの命日の供養にやってくる。あいにく、和尚さんは留守。おばあちゃんはいつものように仏壇の前に座ってお布施をだして「おしょうさま、どうぞこれでおきょうをあげてくださいまし。」 きつねは、断りようにも言葉が通じない。きつねはすまないと思いながら、おばあさんを仏間に案内して、袈裟と衣をからだにかけて、心をこめて、みようみまねでお経をあげました。

 

あらためて立体動画で見て、「もしかすると、おばあちゃんは、なにもかもお見通しだったんではないか?」と感じました。

廣介の長女留美が描く廣介伝を読むと、廣介の生まれ育っていく境遇は、かなり複雑。しかし、いつも彼の周辺には、彼の文芸才覚を大切にする叔母や校長や友人が居て、廣介を支えた。

この信頼関係とする強い絆が、廣介童話を貫く「友を信じるやさしさ」、「信じることを貫く輝き」なのかもしれません。

私も、年齢を重ねるごとに心が狭くなる気がしたりします。その一方で、幼い子どもは輝いて見え、どの子もどの子も受け入れられるようになります。

キツネがなせる諸行を受け入れるおばあちゃんは、年齢の功ですかね?

キツネが、和尚の役を演じている様を肌で感じているのかもしれません。

「泣いた赤鬼」で描く友を信じる廣介の世界観は、他人と心を共有できる心の深さかもしれません。老いて身体が動かなくなるぶんだけ、心を広くして、時として、見えないふりをする、聞こえないふりをする、気がつかないふりをすることも必要なのかもしれませんね。

廣介動画が描く「泣いた赤鬼」の世界は幼児教育の基本です。

「友だちと上手にコミュニケーションをとる」

「自分の気持ちを上手にコントロールして友だちと関わる」

「時として自分の気持ちや行動を上手にセーブする」

そして、「日常の生活での基本的なルールが身に付いている。」。

この課題は、私たち大人にとっても大きな課題ですね。

厳しい熱暑が続きます。無事に一学期も終了しました。

ご家庭のご理解を頂き、お子さんを無事お戻しすることが出来ました。

この休暇期間、スタッフは研修や準備出勤で勤務していますが、貴重な休暇期間は、二学期に向けて充実した時間として過ごせるよう努めます。

二学期に、元気でお会いできるようお子さんをよろしくお願いします。