健伸だより2月号 “子どもが語りかけてくる世界”

2015年01月21日

理事長コラム

子どもが語りかけてくる世界

何となく冬は心も寒くなる電話料金増えて木枯らし
(俵 万智「サラダ日記」)

木枯らしが吹く夜、寂しくなってどてらを羽織って、近くの公園の公衆電話ボックスに駆け込む。
手に握った10円コインを気にしながら、郷里のお母さんと声を弾ませる。
しかし、携帯やスマフォでメールする今の若い世代の人たちにとっては、この情景は映像としてイメージできないでしょうね。

「寒いね」と話しかければ
「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

住宅が密集して壁一枚で隣近所の人が生活しているにもかかわらず、めったに顔も合わせずご挨拶する人も少ない。
昔は、壁も薄く、ふすまや障子から隣家の生活が感じられた。
テレビ番組のドキュメントで、テレビを囲んでこたつに入っている昭和30年代の家族の映像が流れました。
驚いたことは映像が暗く、周りがはっきり見えない。
蛍光灯に慣れた現代の私たちには驚くような暗さです。
当時はこの暗さが普通で、スイッチをひねるとパッと明るく輝き太陽の明るさでした。
わずか半世紀、電気機器の操作も変わりました。
昭和の文化生活は指先で、スイッチをひねったものです。
平成の文化は、携帯、パソコンでも指先で押しました。
近頃はスマフォの普及で、指先でさすります。
いかなる時代でも、人と人との触れ合いの温かさは変わらないばかりか生きていくためのエネルギーです。

お正月様から鬼の節分。
一月も後数日で本格的な冬、二月を迎えます。
「おに くる?」
ビオトープの草取りをしていたらM君から突然の質問。
「ぼくらのお部屋にも 鬼が来るか?」という質問だったようです。
年少組のころの節分が、よほど怖かったのでしょう。
「いつでも、誰でもウエルカム」の年長組にとっても、節分の鬼の来園児にとっても来てほしくないお客様です。
この2月3日の節分の日は、お母さんたちがカメラ持参で朝から窓枠に張り付いて、オニに追われ泣きわめき逃げ回るわが子の必死な様子をカメラにおさめます。
机の下にもぐりこんで隠れる愛しきわが子の居場所を「鬼さん、鬼さん 机の下 机の下」と教えたりします。
「赤鬼ファイト!」と疲れた鬼に向けてエールを送ったりもします。
「世の中には、お母さんでも先生でも、かまってあげられない時もある」
「自分で戦い自分の力で自分を守りなさい」
節分の豆まきは、幼稚園の考え方が許される年一回だけ子どもを驚かせることができる日です。
オニになる先生は、爽快感があるのでしょうね。
いえいえ、必死に向かってくる子どもたちに対抗する機敏な動作と耐久力そして気力で「すごーく疲れる」そうです。
2時間あまりの戦いを終えて着替えると、かみつかれたり蹴っ飛ばされたりひっかかれる傷跡であちこちミミズバレ。
正面は防御できても後ろは無防備ですから、子どもたちは後ろから攻撃します。
この攻撃は、強力パンチ・噛みつき攻撃…
オニのおしりは傷だらけだそうです。
子どもに頼りにされ泣く子をおぶったり抱きしめたり、担任の先生たちも衣服はよれよれ、腰はふらふらの状況です。
「でもこんなに頼りにされて、すごーく幸せです」

なにもかもおもいでとして残る2月(俵 万智)

あっという間に過ぎ去ってしまう2月。
特に年長組のスタッフにとっては、子どもたちと過ごす日々の出来事が「思い出ページ」につづられていきます。
もう70年前の思い出です。
終戦直後の私の小学校一年生の学芸会。
私の思い出ページに映る姿は赤く鮮やかに開いた一本の梅の枝を持って、大きな舞台に立って一人で歌います。
「は~る や こい は~やく こい
あ~るき はじめた みよちゃんが
あ~かい はなおの じょじょはいて
おんもに でたいと まっている」
私にって春の訪れは、山頭火の「枝に花が 梅のしづけさ」「凜」とさせる春の句です。
「風尚」という言葉を昭和女子大の人見楠朗学長より学びました。
幼稚園の門近くに、紅梅を植えるといいですね。
紅梅は冬の寒さの中でつぼみをゆっくりと膨らませ、春の訪れを待ちます。
春はじっくりとそよ風が舞うように漂ってきます。
卒園していく子どもを見守ってくれる紅梅、子どもの心に思い出として咲いてくれる「風の趣」それが「風尚」です。
1月19日、幼稚園の入り口に植えられた紅梅が一輪、真っ赤に咲きました。
春間近。まもなく巣立っていく子どもたちを一輪一輪大切に見守っていきたいと思います。

子どもの描画活動

はるがきて めがさめて
くまさん ぼんやり かわに きた
みずにうつった いいかおみて
そうだ ぼくは くまだった
よかったな

まどみちおさん、感性の世界です。この詩を見て年長さんがさらりと絵を描いてくれました。
文字の文化を持たない、お話の文化が乏しい幼児は、記号としての線と色と形で、心に描くイメージを言葉でつぶやきながら絵で表現します。
昔の旧幼稚園教育の指導書では描画活動は絵画制作領域として、絵を描く技能を指導するという観点が強調されていました。したがって、絵を上手に描く指導の観点が重視されがちでした。
絵を描くための技術指導が重視されると、お絵描きが苦手な子どもが出たりします。
現在の文科省の幼稚園教育要領では、「人間関係」「環境」「言語」「健康」そして「表現」。
従来の「絵画制作」や「音楽リズム」という技術指導に走りがちな領域を廃して、子どもの心のイメージや気持ちを感性豊に表現する心を育てる「表現」という領域を新たに設定しました。
したがって絵を描くことは技能評価ではなく、心やイメージを発信する気持ちの表出です。
大切なことは技能・技術の指導ではなく、教師と子どもが相互に共感し受容・感動する心のキャッチボールなのです。
教師に問われることは、文字や言葉の表現技能が発達していない「子どもの心を読み取る」受容力です。
2月という月は月齢にかかわらず、子どもの感性・子どもの心にイメージされる「宇宙」が内面から外に向かって、風船のように広がっていく月です。
幼稚園教育要領に描かれる「ねらい」が子どもの姿として具現化されていく「まとめ」の月です。
この時期に「子どもの宇宙」を表現する子どもの描画をご覧いただきます。
世界に一つしかないそれぞれの子どもが心のイメージを表現した作品が展示されます。
お子さんの絵の前に立ち止まり、子どもが語り掛けてくる心とお話していただければ幸いです。